主観的時間感覚

2003年11月2日
ネズミと象では寿命が随分違うが、ではネズミは不幸で象は幸福かというとそんなことはない。

おそらくチョロチョロとせわしなく動くネズミは高速度撮影のフィルムのように加速装置状態で動いている様な人生を送っている。たとえば人間が追いかけまわしたとしても、彼等にとっては緩慢な動きにしか見えない。そして、人間にとってはわずかな期間を十分「長生き」していくのだという。

ゆっくりと悠然と生活する象はその逆で、低速度撮影のフィルムの如く、ゆっくりゆっくりと人生を重ねる。彼等から見た人間の姿は、「なんてせわしない存在か」と思われているに違いない。まるで人間から見たネズミのように。

この考え方は、こだきんオリジナルではなく、立派な仮説だそうだ。「一生の間に打つ心臓の鼓動の数が、ネズミと象でほぼ一緒である」という事が根拠だそうだ。

さて、ここからは、こだきんオリジナルの仮説なのだが、実は「時間感覚」は生物の種別だけでなく、年齢によっても違うのではないかと考えた。

幼児〜少年までは心臓の鼓動は一般的に速い。あかちゃんの心臓は猫の様に速く、少年になっても1割増程度に速い。そして、子供の行動や言動を見ていると、大人からは比べ物にならないほどはしこい。子供は大人の感覚から見ると「我慢が足りず」少々の時間でもすぐねをあげる。

逆にお年寄りは「老人力」を持っているせいか、中年よりも気が長い。十年一日のように悠然と生きる。個人差として気が短いご老人もいるが、全体手に性格が丸くなり、少々のことにも慌てず、ゆっくりと事に当たる傾向がある。
たとえば、昔の感覚で道路を渡ったのに交通事故に遭ったというケースをよく聞く。 脈拍を実際にはかったことはないが、お年寄りの鼓動はおそらくゆっくりとしているのではないだろうか。

人間は、年齢によって「時間感覚」が実際に違うのではないだろうか。時計ではかった同じ時間を、子供と大人、お年寄りでは、違う時間感覚でとらえる。だから、異なる世代間におけるコミュニケーションには、本当は生物学的な注意/調整が必要なのかもしれない。

誰か、この「主観的時間感覚」を客観的に測定できるメトリクスを考案してもらえないだろうか。

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