2週続けての出張、しかも今度は受験戦争(あるんだねえ、まだ)のあおりを食って、職場からは随分離れたホテルに滞在するはめになった。

このホテル、かなり安かったのだが、その分、ほんと〜に何にもない場所で、インターネットはおろか、電話線の口も、ウォシュレットも、冷蔵庫もなかった...。

先週のホテルが恵まれ過ぎていたのかもしれないが、それにしてもインターネット系がつながっていないのは何とも痛い。なんとゆーても、この「日記サイト」に繋げることができないので、全然更新もできない。

Webメールも読めない状態なので、まさしく世間からはすっぱりと切り離された状態である。陸に上がった河童か、はてまた水に突き落とされた天童あかね状態というか。(誰もわからんな。)とにかく、一種の無力感に襲われた一週間であった。

こうして世間から切り離されていると、逆に、今までは目に入らなかったものが見えてくる... という流れに持っていきたいのであるが、残念ながら、見えてきたのは「いかにインターネットがないパソコンが不便か」というところだ。

日記、メールはもちろんのことであるが、日頃情報収集源にしている各種ニュースサイト(技術系、社会系、国際系、ビジネス系)、電車の時刻、お天気、ちょっと調べもの(お仕事の方ね)をしたくても、辞書代わりにしているサイトにもアクセスできない。

一応、何かの役に立つと思って(全部とおして聴いたら)2日分の音楽を入れておいたが、やっぱり飽きる。なにかの役に立つと思って入れておいたゲームもしなかった。なんとなくローカルだとつまらないのだ。

つまりは、「可能性の問題」である。インターネットにつながっている限り、わが「ケロちゃん」は、辞書代わりにして調査することができ、新しい機能を得ることができ、知り合いと連絡でき、チャット(あんまりしないけど)もできるし、こっそり(?)ショッピングもできる。コミュニティを広げることもできる。インターネットラジオという便利なもんもある。世間で情報はどんどん生産されているから、事実上、ケロちゃんの持っている可能性は無限だ。

しかし、それが断ち切られると、ケロちゃんは、単なる有限の記憶容量と有限の機能を持った有限機械に成り下がる。これがいかに情けないことか。「生活」そのものの質はともかく、こと「パソコン生活」というものは、もうネットワークと切り離しては考えられない。それがつくづくしみじみ実感させられた一週間であった。

え、携帯持っていってたら、そんなことに悩まなくてすむのにって? その通りである。実はピッチしか持っていないのだ。なさけねー。


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